http://www.granpapashop.com/hpgen/HPB/entries/93.htmlより
グランパパは2018年現在で39年目になるという歴史を持っています。
俳優・津川雅彦さんが我が子の誕生の感動からはじめたおもちゃ屋さんです。
子どものために、パパができることは一緒に遊ぶことであり、そのために良いおもちゃを与えたい、そしてそんなパパが増えますようにという理由から「グランパパ」と名付けられました。
その後、ぬいぐるみも多く作られました。
実は編集長くーらんもグランパパ出身なのです!
くーらんの生い立ち
くうなが所属しとったグランパパの津川雅彦さんが亡なったね
泣いたよ
くうな、おうちにきてからみはるがタグを切って、いまは赤い糸で手術されとるけん残ってないけどね。
グランパパのタグがついとったおもうんよ。
くうなはサバンナから大阪に来て、グランパパにスカウトされてお店におったんよ🐻 pic.twitter.com/Um6Nzxb6iM— くーらん@ぬいぐるみ愛ディア編集長 (@kuuran97) August 8, 2018
くうなね、サバンナからきたけんこんなに茶色いんよ。サバンナのときはライオンはくうなの手下やったんよ、つまりくうなが百獣の王やったんよ。
こんにちは、ライターのみはるです。
こちらの写真は現在くーらん。
タグがないのでグランパパ出身の証はありませんが・・・。
トイストーリーを見た持ち主が「うちの子だからタグはいらない」と切り、不器用ながら赤い糸で縫い合わせたからです。
もちろんその持ち主とは幼き日の私です・・・(笑)
くーらんに針をさすのが辛すぎて「ごめんね」と泣きながら縫ったことをいまでも覚えています。
そしてくーらんはお顔の手術も行っているのです。
にっこり笑っているお口、実はおうちにきた頃にはありませんでした。
毛でおおわれていて、無表情なくまさんだったのです。
当時、持ち主は1歳の頃から一緒だったファーファ―ちゃんがいたので、
「くまは白くて愛嬌があり、笑っているもの」という固定概念がありました。
そのため、くーらんに放った第一声は「黒いのはいやじゃ」でした。
傷ついたよ
くーらんがサバンナ出身で、黒いのは日焼けだと言い張っているのは、このつらい過去をやわらげるためだと言われています・・・。(笑)
一度は拒否されたものの、弟くんのクマとしてくーらんはぬいぐるみの仲間いりを果たします。
が、笑っていないし茶色くて小さいということで、いつも貧乏な役ばかりさせられ・・・。
挙句の果てには、その他大勢と一緒に大きなビニール袋に入れられ、押し入れに入っていたこともありました。
くうなって下積み時代が長いやろ
こんな紆余曲折ありましたが、初代のファーファーちゃんが首がもげそう問題から引退し、殿堂入りしてからはくーらんが相棒となりました。
そこから、実はにっこり笑っているお口があることが発覚し、除毛手術の末に現在のにっこりお口が日の目をみたのです。
くうな、情熱大陸でれそうやない?ぬいぐるみ初でオファーこんかなあ
グランパパは永遠に。
こんな歴史をつくるほど長生きするクマがいると、津川さんに知ってもらいたかった・・・。
本当にくーらんを作ってくれてありがとう!と心から感謝しています。
おそらく、グランパパ出身のぬいぐるみはこの世界にたくさんいることでしょう。
もちろん、くーらんのように長生きできずにいなくなった子もいるとは思います。
ですが、少なくとも津川さんがおもちゃ屋さんをやろう!と思いつかなければ、この子たちは生まれてこなかったわけです。
たった1秒でも「しあわせ」を共有できる人と巡り合えたぬいぐるみたちはとってもしあわせだったと思います。
津川さんが亡くなっても、グランパパから生まれたぬいぐるみたちは今も生きて、今日も家族をしあわせにしている・・・💓
これってとってもすごいことですよね!
津川さんの訃報はとても悲しかったですが、改めてぬいぐるみという大きな存在に感謝したひとときでした。